三千院ガイド
建築
彫刻
絵画
工芸
近代画壇襖絵
書跡
門跡関連資料
歴史資料
円融蔵 展示室
トップに戻る
三千院ガイド 声明 三千院の文化財 私と三千院 大原ガイド 三千院BB
円融蔵 展示室
 
 

 
復元模写   赤外線写真




江戸時代

 
法華懺法・例時作法は法華経・阿弥陀経の要文を記したもので、天台宗の重要な日課勤行である。江戸時代には皇族の法事の都度、法親王などが新たにこれらを書写しており、三千院にも複数の本が伝来する。展示する本は、宝暦12年(1762)4月の桜町天皇(1720〜1750)13回忌法事に際し書写されたもの。上質の鳥の子紙に金泥で界線を引くなかに経文を記す。




江戸時代 寛永 13年(1636)

 
三千院で御懺法講が復活されて以来、本尊として掲げられている画像である。普賢延命には延命・増益の利益があるとされるが、その図像には二臂像と二十臂像の二つの形像があり、天台宗では一般に二臂像が用いられる。二臂像は五仏宝冠を戴き、右手に五鈷杵、左手に五鈷鈴を執り、多数の小象が支える金輪を踏む一身三頭の白象に乗る。


 

金剛界曼荼羅

胎蔵曼荼羅
室町時代 絹本着色
『大日経』に基づく胎蔵界曼荼羅と『金剛頂経』に基づく金剛界曼荼羅を合わせて両界曼荼羅と呼び、密教寺院の根本の尊像とされる。重要な法要に際し、曼荼羅の諸尊を供養する曼荼羅供(曼供)の本尊として、曼荼羅を拝し、香華を供すれば、過去の罪障が消滅するとされる。




鎌倉時代 絹本着色

 
延命・除災を祈る密教の修法・星供の本尊。星曼荼羅には方形を重ねる図様と円形を重ねる図様があるが、本図のように円形を重ねるものは平安時代の天台座主慶円により案出されたと伝える。中央に一字金輪、その周囲に北斗七星と九曜、十二宮、二十八宿と、東洋の天文観に基づく星宿が描かれる。


江戸時代 絹本着色
日天、月天および十方を守護する12種の天部の神々で、もともとは人間を取り囲む方角や地水火風などの宇宙的・自然的要素を神格化したもので、その画像は密教の修法の道場を守護するために用いられる。三千院では星供の道場で、本尊の星曼荼羅図の左右に6幅ずつ掛けられる。




江戸時代 絹本着色

 
大般若経を転読する法要の本尊。中央の台座に釈迦如来、その手前左右に文殊菩薩と普賢菩薩を描き釈迦三尊とする。さらにその外側に左右対称的に8体ずつの十六善神を描く。加えてこの画像では、釈迦三尊の手前に天部と老僧、玄奘三蔵と深沙大将を左右対称的な位置に描く。




江戸時代
菅原道真は死後その祟りを恐れられ、火雷天神として祀られた。この像は明治初年まで三千院門主が住んだ御所東側の梶井御殿(現在府立医大病院の敷地となっている)内にあった「木尾火除天満宮社」に祀られていた神像で、御殿廃止に伴い大原に移され、現在も火除けのご利益で信仰されている。




江戸時代 宝暦11年(1761)
大般若経は紀元1世紀ごろ別個に成立した般若部の諸経典を集大成した経典。唐の玄奘三蔵によって漢訳され、全600巻に及ぶ。除災招福、鎮護国家の功徳があるとされ、我国ではすでに奈良時代以前から大般若経転読法要が行われたことが知られる。この大般若経は、有栖川宮職仁親王らが梶井御殿の火除天満宮社に寄進したことが知られる黄檗版(隠元が請来した明代の版本を覆刻した版本大蔵経)の大般若経である。(一部を展示)




4冊
明治35年−39年 (1902−06)
三千院の日々を記録した寺伝の『日誌』には、三千院客殿ふすま襖え絵完成までの経緯が記されている。それによると、客殿の大修理は明治34年(1901)頃より計画が始まり、5年後の7月に完成している。




画・神坂雪佳
安土桃山ー江戸時代
1基 
134.0×143.0×62.0cm
三千院で呼び習わされている「御所車」を作品名とした。片面には牡丹、椿、山吹、藤、紫陽花、百合、桔梗、鶏頭、菊、萩といった春から秋の花々が極彩色で描かれ、裏面には冬に果実をつける千両が控えた色調で描かれている。絵画の部分が容易に取り外しできる構造になっており、台座は桃山から江戸時代の作と見たい。雪佳(1866−1942)は近代に琳派をよみがえ蘇らせた画家であり、漆器・織物・室内装飾などあらゆる工芸分野のデザイナーとして名声をは馳せた人である。この作品においても工芸と絵画の美が一体となり調和している。
(平成大修理完成記念「京都大原・三千院の名宝展」図録より抜粋)




鎌倉時代 寛元4年(1246)
飛鳥時代に聖徳太子によって創建された四天王寺の当初の本尊像を模した救世観音像。三千院門主は四天王寺別当を兼ねることになっており、その関係から三千院に伝わると思われる。




鎌倉時代
不動明王は大日如来の使者として、密教行者を守護する尊格であり、日本では密教が盛んになるとともに、数多く制作された。この像は慈覚大師円仁作という伝えがあるが、作風から鎌倉時代の作と考えられる。


お問い合わせ
京都市左京区大原来迎院町540 三千院門跡
Copyright(c)2004 三千院門跡 No reproduction or republication without written permission.
記事・写真の無断転載を禁じます。