三千院のご案内 guide 境内

広々とした庭園と荘厳な建築物を始め、
こころ癒される三千院の境内をご紹介します

境内
1・御殿門三千院の玄関口である御殿門は、高い石垣に囲まれ、門跡寺院にふさわしい風格をそなえた政所としての城廓、城門を思わせる構えとなっている。
その石組みは城廓の石積み技術などで名高い近江坂本の穴太衆(あのうしゅう)という石工が積んだもので、自然石を使った石組みは頑強でかつ美しく、時を経ても崩れないといわれる。
2・客殿西側の勅使玄関(ちょくしげんかん)から続く書院で、大正元年に修補された。
明治39年、客殿各室には、当時の京都画壇を代表する画家たちの襖絵が奉納され、当時若い世代であった竹内栖鳳、菊池芳文、重鎮であった望月玉泉、今尾景年、鈴木松年といった新旧の画家たちの競演が見てとれる。
奉納された襖絵は、現在は宝物館である円融蔵に所蔵されており、随時展示替えをしている。
3・聚碧園客殿の庭園、聚碧園は池泉観賞式庭園で、東部は山畔を利用した上下二段式とし、南部は円形とひょうたん形の池泉をむすんだ池庭を形成している。
江戸時代の茶人・金森宗和(かなもりそうわ・1584-1656)による修築と伝えられている。
聚碧園の隅にある老木「涙の桜」は室町時代の歌僧頓阿(とんあ)上人が詠んだ一首に由来し、その桜は西行法師のお手植えとも、頓阿上人の友、陵阿(りょうあ)上人のお手植えとも伝えられている。

見るたびに袖こそ濡るれ桜花涙の種を植えや置きけん (頓阿上人)
4・宸殿宸殿は三千院の最も重要な法要である御懴法講(おせんぼうこう)を執り行うために、御所の紫宸殿を模して、大正15年に建てられた。
 本尊は伝教大師作と伝わる薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)で、秘仏となっている。
また、宸殿では毎年5月30日、三千院門主が調聲(ちょうせい)を勤め、山門(延暦寺)と魚山(大原寺)の僧侶が式衆として出仕し、歴代天皇の御回向である御懴法講が厳かに行われる。
雅楽と声明がとけあった御懴法講は、後白河法皇の御代から始められた宮中伝統の法要で、江戸末期までは宮中で行われていたため、「宮中御懴法講」と呼ばれていた。
本殿向かって左、西の間には歴代住職法親王の尊牌が厳かにお祀りされており、向かって右の東の間には天皇陛下をお迎えする玉座を設え、玉座の間には下村観山の襖絵がある。大きな虹が描かれていることから「虹の間」とも呼ばれている。
5・有清園(ゆうせいえん)有清園は宸殿より往生極楽院を眺める池泉回遊式庭園で、中国の六朝時代を代表する詩人・謝霊運(しゃれいうん 385-433)の「山水清音有(山水に清音有り」より命名された。
青苔に杉や檜などの立木が並び、山畔を利用して上部に三段式となった滝を配し、渓谷式に水を流して池泉に注ぐようになっている。
春には山桜と石楠花(しゃくなげ)が庭園を淡く染め、夏の新緑、秋の紅葉、そして雪景色と季節毎にその色を変える。
6・往生極楽院三千院の歴史の源とも言える簡素な御堂。
平安時代に『往生要集』の著者で天台浄土教の大成者である恵心僧都源信が父母の菩提のため、姉の安養尼とともに建立したと伝えられる。
往生極楽院に祀られている阿弥陀三尊像(国宝)はお堂に比べて大きく、堂内に納める工夫として、天井を舟底型に折り上げていることが特徴。
その天井には現在は肉眼ではわかり難いものの、極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が極彩色で描かれており、あたかも極楽浄土そのままを表している。
堂内中心に鎮座する阿弥陀如来は来迎印を結び、向かって右側の観世音菩薩は往生者を蓮台に乗せる姿で、左側の勢至菩薩は合掌し、両菩薩共に少し前かがみに跪く「大和坐り」で、慈悲に満ちたお姿である。
建物は重要文化財、阿弥陀三尊像は国宝に指定されている。
7・朱雀門 往生極楽院の南側にある朱塗りの小さな門で、その昔、極楽院を本堂としていた頃の正門にあたる。その様式は藤原期の様式とも言われているが、江戸時代に再建されたもの。なお、現在開扉は行われていない。
8・あじさい苑往生極楽院を過ぎて、金色不動堂に向かう参道脇に、数千株のあじさいが植えられている。
6月中旬、苑内は小あじさいに始まり、希少な星あじさい(七段花)が咲き始め、山あじさいに額あじさいと順々に花開き、可憐な紫陽花たちは杉木立の中、7月に入ってもその姿を楽しむことができる。
9・金色不動堂金色不動堂は、護摩祈祷を行う祈願道場として、平成元年4月建立された。
本尊は、智証大師作と伝えられる秘仏金色不動明王で、重要文化財に指定されている。毎年4月に行われる不動大祭期間中は、秘仏のその扉は開かれ、約1ヶ月間お姿を拝するこができる。
10・観音堂観音堂内には身丈3メートルの金色の観音像が祀られており、御堂両側の小観音堂には三千院と縁を結ばれた方々の小観音像が安置されている。
平成10年に建立され、観音堂の横に広がる石庭・二十五菩薩慈眼の庭は、補陀洛浄土を模して、二十五菩薩を配した庭園である。
11・律川(りつせん) 呂川(りょせん)境内の北側を流れる川を「律川」、南側を流れる川を「呂川」と呼ぶ。
これは声明音律(しょうみょうおんりつ)の「呂律(りょりつ)」にちなんで名づけられたという。
12・阿弥陀石仏(売炭翁石仏)

金色不動堂の北、律川にかかる橋を渡ったところに、鎌倉時代の大きな阿弥陀石仏が安置されている。
この石仏は高さ2.25メートルの単弁の蓮華座上に結跏跌座(けっかふざ)する、定印阿弥陀如来(じょういんあみだにょらい)で、おそらく「欣求浄土(ごんぐじょうど)」を願ったこの地の念仏行者たちによって作られたもので、往時の浄土信仰を物語る貴重な遺物である。
またこの場所は、昔、炭を焼き始めた老翁が住んでいた「売炭翁(ばいたんおきな)旧跡」と伝えられることから、この阿弥陀さまをここ大原では親しみをこめて、売炭翁石仏と呼ぶようになったと伝わる。

炭竈のたなびく煙ひとすじに心細さは大原の里 (寂然法師)

13・円融蔵(えんにゅうぞう)平成18年秋に開館した重要文化財収蔵施設で、展示室を備えている。
円融蔵には、三千院開創以来の仏教・国文・国史、門跡寺院特有の皇室の記録や史伝等、中古・中世・近世にわたって書写され、蒐集された典籍文書を多数所蔵。
また、展示室には現存最古と言われる往生極楽院の「舟底天井」を原寸大に設え、藤原時代の人々が現世に往生極楽を願い、浄土思想に基づいて描かれた天井画が、赤外線カメラを使った調査により、創建当時の顔料のまま、極彩色に復元された。