三千院のご案内 guide 文化財

建築物、彫刻、絵画など、
三千院の様々な文化財をご紹介します。

建築

三千院の歴史ある建造物をご案内します

宸殿 大正15年(1926)、宮中の行事であった御懺法講の儀式を行うために造られたもので、御所の紫宸殿を模した造りになっています。かつて三千院の門主が導師を勤めた縁から、今は三千院に受け継がれています。

彫刻

三千院の伝わる彫刻をご案内します

  • 国宝 阿弥陀三尊坐像(阿弥陀如来像、観音菩薩坐像、勢至菩薩坐像)
    平安時代
    木造漆箔 像高 阿弥陀如来194.5 観音菩薩132.2 勢至菩薩132.7 
    明治になって三千院に併合された往生極楽院本堂には、阿弥陀三尊像が安置されている。 この三尊像は信者の臨終に際して、阿弥陀如来やその眷属(けんぞく)が極楽浄土から迎えに来られる様子を表現した来迎相である。 阿弥陀如来は来迎印を結び台座に坐し、両脇侍は蓮台上に跪坐(きざ)し、向かって右側の観世音菩薩は蓮台を捧げ、左側の勢至菩薩は合掌する。 両菩薩は膝を少し開き、上半身を前屈みにする「大和坐り」といわれる珍しいお姿で、往生者をお迎えするまさにその一瞬を表しているといわれる。 平安時代を代表する三尊像で、国宝に指定されている。
  • 勢至菩薩坐像  観音菩薩坐像 勢至菩薩(せいしぼさつ)坐像:合掌し、往生者を迎える姿
    ヒノキの寄木造で胎内からは「久安四年」(1148)の墨書が発見された。
    観音菩薩坐像(かんぜおんぼさつ):往生者を蓮台に乗せる姿

絵画

人物像を始め、多くの絵画が伝えられています

客殿襖絵
近代画壇と三千院
客殿襖絵は、明治三十九年(1906)に、京都画檀の画家たちによって奉納されました。当時若い世代であった竹内栖鳳、菊池芳文と重鎮であった望月玉泉、今尾景年、鈴木松年といった新旧の画家たちが腕を競い合い制作されたものです。 明治三十九年の時点で、玉泉七十三歳、景年六十一歳、松年五十八歳。京都画壇の大家たちを向こうにまわし、幸野楳嶺門下の四天王と呼ばれた二人、菊池芳文は四十四歳、栖鳳は四十二歳。若い世代と長老たちの画風の相違が興味深い。
  • 御殿場暮景図(ごてんばぼけいず) 竹内栖鳳筆
    八面(全九面) 明治三十九年(1906)
    紙本墨画淡彩 各172.0×89.0
    栖鳳(1864-1942)が御殿場に旅行し、富士の裾野を写生して制作したと伝えられる。 ヨーロッパへの西洋視察旅行で新たな表現を模索していた栖鳳は、霧や霞にけぶる風景画を多く残しており、この障壁画もそのうちのひとつとされる。 従来の日本画とは異なる空間の感覚で杉林にたちこめる湿潤な大気を見事に描いたこの作品は、英国の画家ターナーの風景画の影響が指摘されている。
  • 茅ヶ崎海岸図(ちがさきかいがんず) 菊池芳文筆
    八面 明治三十八-三十九年(1905-06)
    紙本墨画淡彩 各172.0×89.0
    芳文(1862-1918)四十四歳の時に完成した作品で、客殿上の間を飾ったもの。 みずみずしく動的なタッチで描かれた松の幹や枝、それにかかる月の表現には近代の気分があふれている。 花鳥画、特に桜図を得意とした菊池芳文は同じ部屋の戸袋四面に「桜花図」を遺している。
  • 松龍騰空図(しょうりゅうとうくうず) 鈴木松年筆
    十二面 明治三十八年(1905)
    紙本墨画着色 各172.0×89.0
    松年(1848-1917)は、鈴木派の祖・鈴木百年の長男。 豪快な筆力で鳴らし、「今蕭白」と呼ばれた松年の真骨頂をあらわした入魂の作品といえる。晩年の作であるが、十二面十メートル以上の長大な画面を余すことなく豪快に描いている。

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  • 蓮池亀遊図(れんちゆうきず) 今尾景年筆
    十面 明治三十九年(1906)
    紙本墨画淡彩 六面各172.0×89.0 四面各172.0×65.0
    景年(1845-1924)は京都の友禅染を扱う家に生まれた。十四歳で鈴木百年に師事し、門下生のうち鈴木松年、久保田米僊と並び称せられた。 景年は国内外で様々な博覧会、各万国博で受賞を重ね、当時最も活躍した画家の一人といえる。この作品が制作された二年前には帝室技芸員となり、京都画壇の長老として確固たる地位にあった。 極彩色、精密に描く花鳥画で知られた得意の画風は全く影を潜め、この作品には枯淡の画境に達している。
  • 芦雁図(ろがんず) 望月玉泉筆
    六面 明治三十九年(1906)
     紙本墨画淡彩 各172.0×89.0
    濡れ縁に面した鞘の間を飾った二面三組の襖絵。 芦雁図は、玉泉(1834-1913)の最も得意とした画題だけあって、水辺で様々な表情を見せる雁の姿を的確に描き分けている。 玉泉は望月玉蟾を祖とする望月派四代目の画家であり、望月派に岸派、四条派の作風を加味した画風で知られる。
  • 恵心僧都像
    一幅 江戸時代
    紙本着色 88.2×42.5
    恵心僧都源信(942-1017)は大和国当麻郷の人。 九歳で比叡山に登り、良源に師事し、顕密二教を究め、学匠(がくしょう)として高名であったが、世俗の名利を捨て、横川に隠棲した。 永観二年(984)から翌年にかけ『往生要集』を執筆し、天台浄土教を大成。のちの浄土信仰に大きな影響を与えた。 恵心僧都の肖像画は、宋に贈られ、かの地に建てられた廟に安置されたと伝わる。本像もそれと同系の一幅である。
  • 安養尼像(えしんそうずぞう) 
    一幅 江戸時代
    紙本着色 88.7×43.7
    願西尼(がんせいに)ともいい、『往生要集』の著者、恵心僧都源信の姉とも妹とも伝える。大和国当麻郷の安養寺に住す。 本像は、恵心僧都像とともに三千院に伝えられた一幅で、ふくよかな初老の尼が合掌する姿に描かれる。
  • 重要文化財 宮中御懺法講絵巻(きゅうちゅうおせんぼうこうえまき) 
    一巻 江戸時代
    紙本着色 37.9×561.0
    江戸時代の宮中御懺法講の様子を描いた絵巻物。 懺悔は平安時代には比叡山の仏事に取り入れられ、貴族にも浸透した。保元元年(1156)に内裏で懺法が修されて以来、宮中でも営まれるようになり、三千院門主が導師を勤める定めとなった。
  • 阿弥陀二十五菩薩来迎図(あみだにじゅうごぼさつらいごうず)
    一幅 鎌倉時代
    絹本着色 134.7×87.4
    皆金色に載金模様の衣をまとい、来迎印を結ぶ阿弥陀如来を中心に、同じく皆金色に載金模様の衣をまとう二十五菩薩と、彩色の地蔵、龍樹の僧形の二菩薩が来迎する様が描かれている。